疲れては寝転ぶ

このコロナ渦で、再び緊急事態宣言が発令され、夜の街からはすっかり人が減ってしまった。
がんばって、がんばって、一日の仕事を終えたところで、目ぼしい飲み屋はやってない。
そして街が沈めば私も沈み、どうしようもこうしようもない気分。

ただ友人が、ネット越しでも、そのどうしようもない様子を察して、通話に誘ってくれたのありがたかった。
夜の公園でベンチに寝そべり、遠くの町に声を飛ばす。ああ私をこのまま引き上げてくれ。

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諏訪に行きたい

一時期、やさぐれると、ふらっと諏訪へ足を延ばしていた時期があった。程よい現実逃避にもなっていた。

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コレは2013年の12月20日の午後3時半ごろ、撮った写真だ。
生まれて初めて諏訪湖のほとりに立った時、私は不思議と感動した。

気温は日常の街と違う。木々はひと足先に落葉していて、足元には雪まで散らばっている。
でも目の前には、こうして大きな水辺がサーッと広がっている。
ここに広がっている風景は、海でもない、湾でもない。こんな風景を私はかつて観たことがあるだろうか。

今日私は、神奈川を立ち、八王子から中央線に乗り、大月を越えて・甲府を過ぎて、標高700メートル級の町にやってきた。あたかも海から遠ざかるように動いてきた。
しかし鼻呼吸をしても、ツンと冷えるが、磯臭さはしない。やっぱりココは海じゃない。

でも諏訪湖の水面を眺めていると、とにかく心が洗われていく感覚があって、日没までずーっとこの景色を見続けたいとまで思った。

それから、子どもの頃に読んだ、アンデス山脈の奥地にあるといわれた黄金郷・エルドラドの湖のことを目の前の風景に重ねつつ、風に吹かれる。
黄金の船は現れないし、エメラルドの埋め込まれた黄金マスクをかぶることもないけれど、地球の裏側の遠い文明。こういうの好きなんだよね。募金の赤い羽根はインディアンの羽根に見立てて、とても大事に胸に刺してたし。

あとこの湖の底には、武田信玄が眠ってるって説もあるな。武田信玄の水中墓。寒い日は氷がはって、湖底からじゃ空もロクに見上げられないだろうけど。

そしてそれ以外にも「普段思わない・考えない」こと、思ったり考えたりしながら、ひたすら、ずっとボーッと、風に吹かれて、訳のわからない妄想に耽る。




このくらいの季節になると、余計に諏訪湖のほとりが恋しくなる。冷え込むのもわかってる。
でも防寒重ねて、ただずっとボーッとできる場所に行きたい。現実軽く飛び越えて、私は諏訪に行きたい。

しがない空中散歩の話

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8月1x日 17:20 高松空港羽田空港行 JAL0484便、定刻どおりのテイク・オフ。
しかし問題は、Wi-Fiが無いことだ。仕方ない、窓でも見るか。

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見下ろすと、うっすら標高の高い山と、瀬戸内の島々が見える。
この山はこんぴらさんかな、それとも「讃岐富士」こと、飯野山かな。

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でも気を抜いてると、あっという間に高度は上がる。


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雲より高いところに上がると、雲が雪みたいに見えてきた。
よく真冬の雪を真綿に例えたり、雲に例えたりするけれど、いまは逆だ。雲上が大雪原に見える。
行ったことないけど、南極大陸ってこんな感じかな。ジオチャンネルで昔みたヤツ。
アザラシもペンギンもいないし、犬ぞり走らせる人もいないし、やっぱりココは南極でも何でもないの、分かってるけどさ。

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雪のような雲と別れて、灰色の雲の上。

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埋め立て地は輪郭がわかりやすい。これは神戸の六甲アイランド、かな。そんな気がする。


そしてよくわからないけれど、特徴的な感じの街たち。
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お米一粒一粒に神様が宿る。じゃないけれど、この家屋ひとつひとつには所有者がいるんだよね。
眼下の風景は、あくまで風景かもしれないけど、その中にはいくつもの日常があるんだろうな。そう思うとモザイク画の町にも、味わいがぎっしり。


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……なんてことを思っていたら、空はふんわりと、ねむけを誘う色になってきた。
朝なら恐らく、二度寝してる色。そして長旅の疲れからか、全身の力が抜けいく色。
でもせっかくの窓側席。今は今しかない。窓フレーム外側の景色を、我が目に焼き付けようとする。

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これは絶妙に、指でつまみ上げたくなるタイプの三浦半島

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これは富津辺り。岬の突端部分が特徴的。


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木更津辺りの夕日が橙色で、海面まで暖色に染めていたことと、

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東京湾に伸びる白い線は、伊豆大島から来た高速船(ジェットフォイル)の航跡波かな。
辺りのコンテナ船やフェリー?タンカー?の類いと比べても、走行速度が異なってた。

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そして東京湾の、いつか見た風景を空中から見下ろして、着陸体勢へ。


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……と、旅に後ろ髪を引かれながら、滑走路に着陸。
でも「後ろ髪を引かれながら」とか言いつつ、動く歩道では歩きたくなってしまうし、旅を惜しんでるのか、日常に戻りたがっているのか、どちらにせよ、気持ちと行動は一致しない。


だけど京急線に乗って、地下区間を過ぎると、辺りは真っ暗。
すこし前の空中ですら、昔のことのように思う。

安宿で重なる

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朝起きて、「パシャパシャ」と顔を洗ってると、真横からは「ブィーン、ブィーン」と、小さな草刈機みたいな音がする。
隣に立つ人は、聞き慣れない音でヒゲを削っている。
軽く横を向く、目が合う。軽くやさしく、会釈し合う。
こういう朝の一コマ、すき。
赤の他人と、無防備で重なり合えてる時、私は私を忘れてしまう。

また廊下に置かれた、共用の冷蔵庫は、年季の入った、半ばアンティークな色味。
扉を開くと、酒なりデザートなり、各人すきなものを、てんでバラバラに入れてるんだけど、そのちょっと雑な感じにも、どこかホッとする。

安宿に居付きたい。
それも出来れば、風呂トイレ洗面が共同の安宿がいい。
ドミトリーやゲストハウスは、相手を意識し過ぎてしまう距離感で、私には気疲れの方が大きい。でも、ココは違う。
旅先にある、カウンターだけの酒場、2つ離れた席で、物静かに酒を飲む他人は、むしろ風情だし、コレは旅情。
私は冷蔵庫からキンキンに冷えた飲むヨーグルトを取り出し、一気に飲み干す。


安宿で横たわりたい。
そう思うのは、安宿に泊まっていると、過去の宿泊者が、掛け布団と共に、私へ覆い被さり、ふしぎな夜を見せてくることが、たまにあるからだ。
くたびれた畳表、錆びついた鉄製のテレビ台には、前世紀もののブラウン管テレビ。砂壁のひび割れはセンター分けで、不格好なコーキングが施されてる。どうしようもない安宿。

部屋の灯りを全消灯し、横たわれば、
「さて、今夜はどんな夢を見せてくれるのかしら」と、私だけのコクピット内で、ふわり、夜をあおぎ、ゴクンと飲み込む。
やがて夜は手足の先端まで行き渡り、やさしく揺らしてく。

そして目を閉じれば、遠くでゲコゲコと蛙が鳴いてる。
遠くって、どこだろう。歩いて何分くらいかな。日常の街よりは、遠く離れてなかろうけどね。
しかし布団に入り、一度目を閉じてしまえば、簡単にここからは抜け出せない。途端に距離なんてどうでもよくなる。

深夜3時半過ぎに目が覚めると、私は部屋の机の脇から、人の気配を感じた。でも怖くはない。

居室の人影、どこか色気を漂わせつつ、酔い覚ましの水を飲みながら、私をそっと見てる。
きっとこの人も、眠れないんだな。って、妙な仲間意識と夜に揺られてる。

「眠れないなら、コッチにおいで」
この部屋に迷い込んだ者同士、意識が溶け合えるなら気持ちがいいもんだなって、自らこう、安宿に溶けていく。
するとホワっと、部屋全体に、どこか甘くて心地のいい、微発泡の液体が溢れだした。


「安宿、安酒、安い人生」
この部屋は、やたらと安酒のにおいがする。
でもそれも、悪くはないね。清潔過ぎる暮らしなんて、むしろ毒々しいくらいだ。

空いたグラスになみなみと注がれる安酒みたく、安宿の夜も満ちていく。
すべてが酔いの中、でもみんな、安物まみれでも、やさしい酔いの中で生きてたいんだろうよ。


どうしようもなく、気怠い朝。
「ブィーン、ブィーン」とヒゲを剃っていると、真横から「パシャパシャ」と顔を洗う音がする。花の香りもする。
軽く横を向く、目が合う。オレも、やさしく、隣の女に会釈する。

山下清に憧れて

続くよ続く、残業の日々は続く。
通りを振り返ると、行き先が真っ赤な電球で囲われたバスがいた。
なんだ、最終バスか。そんな時間か。

昨日から読み進めてる、晩年の山下清が書いた「遺作・東海道五十三次」って本が面白いな。
面白いというか、山下清の作品や旅を書いた手記の面白さが、あとがきの人も書いてたように「ちょいときゅうくつ」なの。
かつては描きたいものを、描きたいように描いていた山下清が、題材として決められた町を巡り、それだけを書き連ねる様子は、彼らしい空気感はありつつも「ちょいときゅうくつ」。
そう、町は宿場町だけじゃない。
そして、この人は題材選びから、もっと自由な人だったろうにね。

でも彼の、顔も名も売れてしまい、かつてのように放浪できない、自由さをもがれてしまってるところからわき出る何かに、あとは高度経済成長の真っ只中で、街道の人もクルマの中に消えてしまった時代を眺める観察眼に、なんだろうな。
もしかして「遺作・東海道五十三次」には、幾分、山下清の窮屈さに対する嘆きや叫びも込められてたのかな。

しかしこの本も、まだまだ読みかけだ。先が半分もある。
あしたまた続き読もう。

◆◆◆

帰宅して引き続き、山下清の「遺作・東海道五十三次」を読んでる。
しかし読むことに没頭していくほど、文章も風景画も素朴ながら、それと同時に、これは「天才の世界」だなってことにも気付く。

山下清は、放浪先では絵を描かない。
放浪先で「ぼやっと」観た風景を己の脳裏に焼き付けるだけ。そしてあとは記憶頼り。自宅やらで作品を作り上げていたという。

しかし、ぼやっとしながら観た世界を、時間差でよくこれだけ描き切れるな。
この人の頭の中には、どれだけの枚数のフィルムが眠っていて、どういったモノの見え方・重なり方してるのだろう。

もしかしてこの人は、己の脳裏に焼き付けた風景の中へでも、放浪できる人なんじゃなかろうか。
時空間飛び越え、体力も老いも関係なく、ルンペンの調子で、ぼやっと歩いていく。

マスコミに取り上げられて有名人になってしまってからの山下清は「自分がどう扱われているか」をとても気にする、ナイーブな一面の持ち主でもあったともいう。

しかし、目さえ閉じれば、元のルンペンの姿。
そして、常人には持ち得ない記憶の重なり、その向こうにある放浪の町で、誰からの評価もない世界で、彼はひとり歩いてる。

だけどズルイな。
私は山下清の「雨に降られたサザンカが冷たそうだな」と感じたり、砂丘の中を歩いていれば「海より広い砂丘だな」と感じたりと、感情や感覚をサラッと書いた文章でも、私は軽々と彼の町に連れ去られてしまう。
まあそれすら記憶の断片。天才の世界のごく一部でしかないけどね。

相変わらず仕事は忙しい。
でもこんな日記を書けるくらいには、先の見通しが立ってきたのかな。
仕事が落ち着いたら、私も私で旅に出たい。

青空とオレンジ(天王町周辺にて)

何もない休日。私は近所に飛び出した。
斜め掛けバッグに読みかけの本とスマホを入れて、足指は少しだけヌード。

家を出て、最寄り駅を背中に歩く。
さらに歩いて振り返ると、私の通勤路と最寄り駅とバス停が、白昼堂々、ひとつのフレームに収まってる。あまりにも日常過ぎる風景。
でもこんな風景だったっけ。「通勤」の縛りを抜けると、日常の風景も、なにか映像作品の一コマにすら思えてくる。この町も、急に愛おしく思えてきた。

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陸橋を渡る時、トップバリューの4リットル焼酎の空きペットが、路上の植栽をずらずらと囲んでいた。どれもこれも酒だ。
ちなみに、飲み干された空きペットの本数を数えてみると、なんと122本もあった。リットル換算で488リットル。
一般家庭のバスタブ以上。もしくは葬祭場の木棺ひとつを、ひたひたに出来る酒量だ。「帰ってきたヨッパライ」もびっくり。寝返っても酒だし、逃げ場なく、酒。

しかし家主もようやっとるな。
「牛若丸と弁慶」の弁慶は倒した相手の太刀を集めていて、その数999本!なんて話もあったけれど、これは家主の武勇伝を歩道で見せびらかしているのか。そして日々、本数も増えていくのかしら。
でも飲むことそのものが目的になってる飲酒は、健康によくないな。健康であってほしいよ。

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陸橋から見渡す鉄道と河川。
この辺りを歩いていると、平沼橋のガスタンク(正式名称はガスホルダー)が目に入る。映えというか、可愛い。日本人ってこういうの、すきだよね?
ゆっくりまばたきして、あのガスタンク中心に景色を一度見直してみる。
すると視界の中心、ピンポン玉みたいな丸っこいヤツがいて、あとの部分は良く出来た、ただのジオラマなんじゃないかって、球体を中心とした、不思議の世界に「ハテ?」と思う。

ああでも、私には何が真実か、わからないな。
特に夏場は、うだる暑さにヤラれがちで、陸橋の歩道ですれ違う人も少なくて、ツッコミ役も不在。ワケのわからなさを、ひっちゃかめっちゃかさせてる。


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洪福寺の松原商店街にやってきた。夏だから「氷」の文字。
八百屋の日よけの上には、逆さまになった顔が並ぶ。口開けたまま何を待ってるんだろうか。ぱくぱくエサでも欲しいのか。

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八百屋の店頭に並ぶ野菜たちは、産地を眺めるのもたのしい。
野菜たちは近かったり、遠かったり、色んなところから来てるんだなって、地名なんて文字かもしれないけど、それだけじゃない。
行った事のある土地には思い出もあるし、行った事のない土地には憧れるし、そこの野菜だって、口に運べば、あの町の味がするんだろうか。

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じゃん!じゃん!じゃん!じゃん!じゃん!じゃん!じゃん!じゃん!(立体的に押しかけてくる)


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炎天下をボチボチ歩く。
ビーチじゃなくてもパラソルだし、ジリジリ降り注ぐ日差しと、サンダル越しに伝わる足元の熱気は、すこし海みたい。

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あ、いや、やっぱり海かな。この辺を歩くと、いつもそう思う。


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通りすがりに、ちょっといい感じの焼き鳥屋さんを見つけた。
見慣れない店名に「はて・・・」と思い、立ち止まっていると、店の前でタバコを吸ってた常連さんから手招きを受けた。よし!行くか。

ドリンクのメニューに、あのフラミンゴオレンジの焼酎があったから、さっそく頼んだ。
熊本の焼酎バーぶりに飲んだ、フラミンゴオレンジはやっぱり美味しい。
フラミンゴオレンジの焼酎は、オレンジ色のサツマイモから作られた芋焼酎で、ソーダ割にすると、芋なのにライチのような、柑橘のような味がする。すき、すごくすき。昼飲みに、この爽やかさ、うれしい。


しかしこう最近は、心の隙間を埋めるための酒というか、酒と酒場の雰囲気を摂取することで、私の中の何かを取り戻そうとしているのか、酒場に行く頻度が増えてしまっている。
以前から、心のどこかに虚しさは抱えていたろうし、それがあるからこそ、趣味でも創作でも交友関係ででも、無意識の意識で埋めよう!埋めよう!って意欲的に動けていた所もあったんだろうけど、このコロナ渦で、すこし色々と壊れてしまった。だけどクヨクヨしてても仕方ない。
私は酒と太陽と人間を浴びて、立ち上がるんだ。願う力にも望みは託してる。


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酒場から出ると、日がすこし落ちていて、さっきのような眩しさは無かった。


すこし歩いて、天王町保土ヶ谷の中間くらいにある、夏季限定営業のかき氷屋で、すこし気分よくなりたかったんだけど、そのかき氷屋さん、今年はまだ営業をはじめてなかった。
今季は営業しない方針なのか、店側が「まだ夏ではない」と判断しているのか、そこはよくわからない。

ただ数年前、時間は6時前だったかな。店内のテレビでは夏の甲子園がやってたんだけど、アレすごかったな。
準々決勝の9回裏、もう後が無い状態の、秋田県立・金足農業が、2-1から2点差をひっくり返し、逆転勝ちした試合だ。
注文を待ちつつ、皆はだんだん白熱する試合に釘付け。ガラスの容器から小さなスプーンでチビチビすくうミカン氷と、試合終了のサイレン、食べ終えて店の外に出た時に浴びた夕方の橙色。それから盆明けだ。夏の名残惜しさとせめぎ合う、あの暑さ。

社会人になって、あんなに「夏の終わり」を意識したこと、あったっけな。
もう一度、ああいう思いをしたいんだよな。今年はまあ、甲子園、無いけどさ。


これは帰り道。昼間はあんなに賑わっていた商店街も、日曜日は6時半を過ぎるとこんなに静かだった。
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でもこう、営業時間外は営業時間外で、シャッターを眺めるのも面白い。
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切り身や魚卵が海を泳ぐ。そんなこと、ありえないのにね。
しかもカニは、元からハサミが備わっているというのに、そこから包丁まで構えて、なんというバイオレンス。

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「海底で生きる切り身」。結構な作品に遭遇してしまった気がする。


そしてコレは、事実上のヒマワリ。
ヒマワリは陽を追いかけるけれど、コイツは光を反射する。
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結構な共存具合だ。
夜になれば、橙色の光を反射していくんだな。



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……と、青空は先に眠っている。私も今日はおうちに帰ろう。

献血のエロス

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(横浜西口の某献血ルームより)

献血ってエロいよなって思う。
輸血/献血という行為を通して、私の肉体の中を流れる液体が、見知らぬ誰かの肉体の中に入っていく。
そして、私の知らぬ所で、私の肉体を流れていた液体が、誰か血管/毛細血管と流れていき、全身に行き渡り、私の血液が見知らぬ誰かの肉体を動かしていく。

日曜日は久しぶりの献血に行った。
横浜駅西口の献血ルームを事前予約して、時間ぴったりに入って、整理番号を左腕に巻かれる。
「今日の私は76番。ラッキーセブンには、一つ足らないオンナ」
そして左の腕で採血しては、比重を測定され、合格をもらっては、血液型A型の黄色い紙を腕に巻かれ、いよいよだな。って、フードコートで渡されるような、デジタルの呼びブザーを渡され、待合室の椅子で待つ。

待合室ではたくさん並ぶマンガの中から、場面は知っていても、今まで読んだことのなかった、大友克洋AKIRA」を読んでみたけど、なかなかアキラは出てこない。

しばらく経つと、ポケットの中の呼びブザーが音を立てて震えた。
「4バンニ オコシクダサイ」

ベッドに横たわり、右の腕で献血して、400ミリリットルの血を抜くのに10分も掛かったろうか。
ベッド脇のテレビでは楽天ロッテ戦のデーゲームが放送されてて、ブラッシュが同点タイムリーを打ったな!って思ってたら、あっという間に献血は終わってた。

でもそのやっぱり、献血はエロい。
管を通しながら輸血パックに溜まっていく、私の血液を横目で見て、血を抜かれていく私は、だんだんにボーッとしていくんだけど、恍惚混じりでもある。
私の肉体から採取した液体は丁重に扱われ、私はこの丁重に扱われる液体の製造源なんだって、無抵抗で血液を採取されゆく私にも酔ってる。

それから、献血そのものは断じて気持ちのいいものではないけど、血を失う中で、同時に欲や闘争心のようなものも薄れていき、無欲に近づく心地よさもある。
そして頭のそのものは、いつも以上によく回る様子なんだけど、それを留める側の頭があまり働かなくて、言葉にも上手く変換できない。

というか、今の私もこうして献血のことを思いながら、文字起こしをしていく行為を通して、献血後の頭が溶けかけてる感じを思い出して、ロクなこと書き連ねてないな。眠さのせいかな。

帰り道、すこし立ちくらみ、エレベーターホールの壁にもたれ掛かりながら、ふと思い出した。
「血は立ったまま眠っている」ってなんだったっけな。
あ、そうだ。十数年前に読んだ寺山修司の本に出てきた文章だ。
だからって、私も、立ったまま、半分眠ってるけどね。

まるで事後のように。

 

 

 

それから数日、日本赤十字社からメールが届いていた。献血の結果だ。
早速、会員向けwebページで開いてみる。

が、結果むなしく、血小板が標準値よりほんの少し多くて(基準値外)、私の血液は他人に輸血できない血液だとのこと。

「なんってこったい!!!」
せっかく私も誰かの肉体に入り込めるチャンスだったのに!

行動や態度で他人を動かせないのなら、せめて血液として、他人の肉体に入り込み、誰かを動かす(物理)チャンスではあったのに、惜しい、惜しかった。
まあいい。次の献血のチャンスは10月末。
それまで健康体で過ごしておこう。