何らかの前夜

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ガスト
ドリンクバー単体・399円
チョイ盛りポテトフライ・199円+セットドリンクバー・219円=418円
私は私でパソコン持って、ファミレスに来ている。

向かいの席には私服の女の子二人組。
「世界史」のテキストを机の上に置きながら、学園祭の話してる。一年生の時の話もしてる。
大学ノートを90度回して、左利きの彼女は縦書きで何か書いてる。見れない・見えない・覗かない。

後の席のカップルは「いただきます」と言った。振り向くと女性の方と目が合って少し気まずかった。もしかしてこのパソコンの画面も見られていたのだろうか。

赤の他人をひとり、文字でスケッチする私。
次は誰を見ていようかと思ったら、鶏の唐揚げの咀嚼音が耳に入ってしまい、自然と音の方向に首は動く。
しかし私は何故、見知らぬオトコが唐揚げ定食を喰らう姿をマジマジ眺めてしまってんだ。あのオトコは私の親戚でも友人でもないのに。


「後夜祭バンドを、シークワーサーと東京クロックが合併して⋯」と、向かいの席の女子高生が話している。
しかし、シークワーサーと東京クロックだなんて、沖縄と東京か。
私は勝手に横田基地から嘉手納基地へと向かう米軍飛行機を浮かべながら、太目のポテトフライを箸でつまみ、ケチャップマヨにすこしだけ着水させ、離陸。
そして滞空時間長めでポテトフライを舞わしていくも、噛み砕き、舌と絡ませ、口腔ショーを開催する。やがて血となれ、肉となれ。

5月16日(日曜日)18時18分
今日の野球の結果を確認していたら、SNSに吸い込まれて、あーだこーだ考えている間に向かいの席の女子高生はいなくなって、下げ膳の店員が飲み残しのグラスを盆にのせていた。

更に前の席では税務のテキスト開き、人生切り拓こうかとしている若者がいたり、その先の席にはノートパソコンで何らかの作業をしている人もいる。
机の右にマウスを置き、空いた左手は口元、黒縁メガネにはバソコンの画面の明るさがチラチラ反射して「きっと何かを生み出されている最中の光だな」いいな綺麗だな。
人生切り拓こうとする若者含め、すこしそれらを尊くも思う。


ファミレスの奥の一番端の席では、日曜日だというのにワイシャツ姿の男が、パソコン開き「ありがとうございました」って画面の中の誰かに頭下げてる。
巨人の丸佳浩に似たビジネスマン。すこしだみ声だけれど、色白肌にくっきりとした眉毛で「画面映えしそうだな」なんて他人事で他人を眺めている。私はパソコン叩いてる。





何も起きない、この日記では何も起きない。
ただ自分の感覚を思い出したくて、ダーッと書いた風景実況です。

山括弧で閉じて

<人生について>
と、真新しいノートの1ページ目に書く。それが私のおまじないだ。

中学生の時に好きだった先生は、学級活動を行う時、黒板の左上に決まって「○○について」と書き出していた。
合唱コンクールについて、夏休みの過ごし方について、学校農園について、そしてテーマが特に無い時は「人生について」という、仰々しくも漠然としたテーマ。

でも先生がテーマのおぼつかない会に対し「人生について」と名付けて、のらりくらりと話を組み立てていくのもまた、人生っぽくて好きだった。
「人生について」だなんて、だいぶアバウトだけれど、計画性の無い話の中に、好奇心が飛び込んで、上手い具合に蛇行しては、発見をしたり、教訓を得たりしていく流れがおもしろかったし、ノせられた。

それは、私がのらりくらりと旅をしたり、それを文章でまとめようとするのにも少し似てるし、影響も受けてる。計画性の無さからの蛇行、そして気付きや発見。
「何を書いてるの?」と周りに聞かれたら「人生について」と答えてしまうのかな。
いやなんなら堂々と「人生について」と答えてしまおうかな。

揺れ迷いながら漠然と生きつつ、ふとしたタイミング、窓を開けてはカーテンがそよぐ様子に世界の美しさを感じ「ああ、人生」と思ってもいいじゃない。


<人生について>
この「人生について」を囲むカッコがカギかっこではなく、山カッコだったのは今でも忘れてない。
というか、友人Kと放課後に教壇飛び乗って「F先生ごっこ」をしていたからしっかりと覚えてる。
(ちなみに友人Kは私以上にF先生に心酔していた)

でもって、20年近くたった今でも
<人生について>
と、ノートの隅へまじないのように書いてしまう私もいる。
先生の飄々かつ、のらりくらりと世を渡る姿にあやかりたくて、振り返るとそこには「人生について」という学びができている……といいな。

最近またすこし思い悩むところがあって「人生について」という文字列にすがってるし、救われたいと思っているけれど、この6文字を山括弧で閉じて。

夏のちいさな旅

田園の中を影として走る我々。
夏の夕方、ローカル線に揺られていたら、そんなフレーズが浮かんだ。窓向かいの町に、影として存在する架空の高架橋と、その上を走る我々の姿が見える。風景として存在する我々。
でもそのことに気付いてる乗客はどれだけいるだろうか。我々の中に私はいるけれど、私は私。


8月下旬、土曜日。
私は何も考えず、一泊二日の旅に出た。泊るところは決めてない。
ルールがあるなら「青春18きっぷを使って」「浪費し過ぎず」「日曜日の終電までに帰宅する」ことがあるくらい。
斜め掛けバッグに着替えだけ入れて、あとは近所のコンビニに行く程度の格好で横浜駅まで向かう。ラフなTシャツにロングスカートを合わせ、足元はサンダル履き。
「いつの日か、痴呆老人になってしまった日にも、こうして近所を散歩する調子で、遠出してしまうのかな」
「現時点で、旅と散歩の境界がおぼろげだもんな」
自問自答を鼻で笑って、足を進める。

すれ違う人は夏の太陽が眩しくて、俯き気味に歩いてる。
私は駅に向かう途中の信号待ち、スマホの乗り換え案内で、関東近郊・気になる行先を思い付きで検索する。
と、同時に「海か山なら海がいい」「けど木陰に行きたい」「でも、どうせなら行ったことの無いところに行きたい!」とワガママな検索条件で、この旅の行き先を考える。とりあえずこの日は成田線経由・鹿島神宮を第一目的地に決めた。


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夏の溶け込んだ空模様眺めながら、普通列車で三時間。
落ちた食欲をプロテインドリンクで補い、起きてるような寝てるような調子で揺られに揺られる。
神奈川~東京~千葉、横須賀線総武線、からの成田線鹿島線に乗車。
船橋津田沼を越えると、線路の向こうに田畑が増える。千葉県産の野菜たちはこの辺りからも我が町へ来てるのだろうか。
電車はどんどんと日常から遠ざかり、ただ椅子に座ってるだけで、色んな町の今を見せてくれる。無気力なつもりでも、何かが自分に流れ込んでくる感じがあって心地いい。


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鹿島神宮に行った。
何の予習も無しに行ったので、まずはその広さに驚いた。東京ドーム15個分相当の境内で、鳥居をくぐって奥宮に行くまででも10分近く掛かる。
そして行き止まりのみえない参道を歩いていると、歩いている間にも「どこに向かっていたか」すら忘れかけ、無心を求めながらも「喉が渇いた」と、若干遭難しかけてる。大袈裟かもしれないけど、まるで人生のようだ。


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参道から脇道に逸れた所にちいさなみやげ屋があった。
しかし店先には「鹿のエサは終了しました」と、この店の看板商品は完売済み。すこしばかり切ない。
そして塀の先のシカたちも、エサ持たぬ私にはシカト。ただの「シカ」として午後を過ごしている。仕方ない。


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御手洗(みたらし)池の縁取りを子どもたちが歩いている。
冒険家気取りの子どもたちは、ただただ楽しそうにしていて、私だって向こう側に行きたいな。
そして池の裏の鬱蒼とした場所で、知らない子どもたちの夏休みを夢中になって眺めていたら、延命の水を飲むことすら忘れてしまった。

けど代わりに厄払いの甘酒は飲んだ。
厄払いって日本語になんとなく弱いんです。悪運は跳ね除けたいんです。
パワースポットのパワー感じられるほどの繊細さは無いけれど、池の縁取りを歩く子どもたちのような冒険心と楽しむ心は持ち続けたいな。
それから、多少はいい事ありますように。


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(鹿島神宮境内の行き先板・4分の3の確率で国道にたどり着く。行き先=国道という概念)

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これはタケミカヅチノミコトが、地震を起こす原因と言われているナマズを抑え込んでる彫刻。


鹿島神宮から最寄りの駅へ。

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鹿嶋の町は平成レトロというか、まだ私たちが子どもだったころの匂いがした。鹿島アントラーズからJリーグブームの平成ヒトケタ時代を連想してしまうのか。
いやでも1984年から2003年までこの町には女子短大があったらしく、言われてみればあの頃の名残だろうか。

町にあった、鉄道模型がウェイター代わりをする喫茶店のメニューにも「サマーサンバ」「レディーマドンナ」「オータムリーブス」という華やかにフルーツの盛られたメニューがあったけれど、喫茶店のマスター曰く、それらは当時アルバイトをしていた女子大生が発案したメニューだと聞き、わかる気もした。
特に「オータムリーブス」はアイスやフルーツの盛られた皿の上にコーンフレークが落葉の並木道で、差し色のベリーシロップが鮮やか。
今まで枯れ葉のじゅうたんを見てコーンフレークを思ったりしたこと、無かったのにな。そういう感性、私すき。

鹿島神宮では武人の神様を祀っているけれども、鹿嶋の町には私たちが子どもの頃に憧れた「お姉さん」の残り香もほんのり。


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鹿島神宮駅からガルパンラッピングの鹿島臨海鉄道大洗鹿島線の電車に乗って「来た道と同じ道を辿ってもつまらないわよね」という程度の動機で水戸へ向かう。

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こち亀の正式名称みたいな駅名)

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そして改めて「田園の中を影として走る我々」の姿。
思い付きで家を出て、思い付きの電車に乗っているけれど、何もこういう時間とこういう物思いをするために旅をしているのかな。
ダボっとしたTシャツの隙間にエアコンの冷気が入り込んで、こもった熱を冷ましていく。


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水戸に着くと夏空も逢魔が時の色してた。
さっき調べた一泊1800円の宿に向かう道中、足元はいつものサンダルで、ロングスカートひらひら。
ちょっとコンビニに行くような調子でヨコハマから水戸まで来てしまったのは笑ってしまうけれど、旅と散歩の境目なんてようわからんし、伸縮する庭の一角を今日の私はフラついている。


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何度か訪れた事のある水戸だからこそ、あえて歩いたことの無い道を、最短距離という名の裏道を選んで歩いて行った。私だって冒険家気取りで急坂を上がる。

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暖簾越しの灯りの色が綺麗だったからと立ち寄った飲み屋。
ぱっと見の敷居は高いお店だったけれど、楽しかった。

タダモノでは無いマスターが、海外に飛び出していた時の話。
それから戦後、小学生の時に学校行事の一環で「ルイ・アームストロング」の映画を観てから人生が変わったと言っていたオジ様と、大洗の海沿いに別荘を建てたオジ様の話。
話の流れから、海沿いの別荘の写真もいくつか見せてもらって、金持ちが富を誇るようなものじゃなくて、センスのいい建物だな。そこに至るまでの話もすこしだけ聞いたけれど、ああいう建物を選べるのも、またセンスの良さだなと納得に納得。
でも何者でもない私に「こういうお店に臆せず入れるのもセンスだよ」と、焼酎の水割りがグラスで揺れてた。


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……なんて調子で軽く酔いながら、私は1泊1800円の宿に向かったけれど、知らない街の高くて暗い所、家と違うところへ眠りに向かうのはドキドキわくわくする。
この坂を登りきらないと宿にはたどり着けないけれど、それも含めて大特価。それもまた人生。


翌朝はだらしなく起きてしまった。
早起きすれば水戸城の周りを探索したり、大洗まで出かけてもよかったけど、無気力っぷりが光った。
でも10時になったら値段の割に快適だった宿からも追い出されてしまい、なんとなくで「水戸芸術館」に向かった。

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「道草展:未知とともに歩む」
路上観察系(道草をしていると出会うもの)の展示かなと思ったら、路傍の植物たちや自然現象にフォーカスの当たった展示だった。
あまりこの手の芸術に対しての感想を私は上手く話せない。でも感覚としてはわかった。
それから、こういうのって、何かの折にカットされた映像が記憶からよみがえり、その場の何かが合わせることで、意味がつながる事も多い。時間差での気付き。不思議なものよ。


その後、これは旅ですらない話だけれど、水戸から常磐線を乗り継いで帰ろうとした矢先に「せっかく近所だし、遅めの昼でも」と、沿線の旧友にサクッと誘われ途中下車をした。
駅前にサイゼリヤのある町を狙って合流し、昼間っから豪勢に過ごそうよって、あまりにも小粋な提案過ぎて、飲んでなくてもご機嫌になる。

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でもこう、デカンタで頼んだ赤ワインは、夕方の空と夜空とを混ぜこぜにした色。
そしてそれを真っ昼間からグラスに注いでは、飲み干していき、カラになったら夜も近いわ。互い違う行き先の電車で別れ、あとはグリーン車うたた寝するだけ。



一泊二日の思い付きな旅。
田園の中を影として走っていた我々も、江戸川を渡り、隅田川を渡り、多摩川まで越えてしまえば、日常が終点。
いや生きてる限り、旅は終わらんのだろうけれど、こんな感じで、私はたまに旅してます。旅を重ねて生きてます。

髪を染めた日

すこし前の話だけれども、美容室で髪をばっさりと切り、真っ黒な地毛にカラーまでしてしまった。
特に何かあったわけでもなかったけど、現状維持もイヤだと思い、容姿から変わりたかったんです。

けどそんなことがあるだろうか。
私は髪の長さに加え、ガッツリとカラーを入れることによって「お前どうしたんだ?」と言われるくらいのイメチェンを行いたかった。
なのにどうした。薬剤も時間も1.5倍以上掛けたというのに、私の髪は全然いうことをきかず、思うように染まってくれない。

美容師さんも首を傾げながら、私の髪を見ている。
「こんなことはあり得ない・・・」と言わんばかりのモヤっとした表情だ。
熱を加えれば・・・と、一抹の望みをかけドライヤーを当てても、色んな角度から鏡で覗きみても、結局私の髪が黒いことには変わらない。
「んーんー・・・」と美容師さんは考え込む。あんまいい雰囲気じゃないな・・・。

すこし別の事を考えよう。
家の冷蔵庫には近所の八百屋で買った甘くないトマトがいくつか残っていたことを思い出し、タブレット端末でお構いなしに「レタスクラブ」を読み進めながら、今日の夕飯を考えてみる。炒め物にしようか、スープにしようか。

と、困り切った美容師さんから私に「今回、カラー代は無しにしてもいいですか」と提案が入った。「え???」

なんて頑固な黒髪よ。
しかし髪を染めるにあたり迷いはあった。
薬剤を頭に塗りたくる寸前まで「髪を染めて別人みたいになりたい」と思う私と、「地毛のまま、自然体でありたい」と思う私がぶつかり合っていた。
ところが髪は染まらない。
一度は折れたはずの「自然体でありたい」という気持ちが最後まで抗い続け、「迂闊な色に染まるまい」と強力な薬剤すら跳ね除けてしまったのか。
ここまでして黒髪を貫こうとするなんて、殊勝な我が髪よ。意地というより、意志ではないか。

染めても染まらぬ頭。
にしても、それならあの時間はなんだったんだ。何が起きたかさっぱりで、私は美容室を後にした。
首元をスースーさせながら、スーパーで玉子を買って帰った。夕飯はトマトと玉子の中華炒めにした。

【宣伝】ナンセンスダンスさん「勝手に踊ってろ」に寄稿しました

寄せ書きサイト「ナンセンスダンス」の合同誌「勝手に踊ってろ」に寄稿させていただきました。
「ナンセンスダンス」って語感もいいですよね。センス満点。馬主になったら持ち馬に付けたい。
「ココは負けられない一番人気、22番ナンセンスダンス」

合同誌への寄稿、あれやこれやと自分の中で楽しい事をしていたら、ようわからんうちに、楽しげな所へ転がり込んでるのはよくありますが、今回も見事にそのパターンです。
周りの顔ぶれを見ていると、デイリーポータルZさんや、オモコロさん等の有名サイトで書かれてたり、Twitterのタイムラインでお目にしたことある!ファボしたわ!というライターさんや絵描きさんばかりで恐縮しつつ、正直「私は何を書いてしまったのかしら・・・」と思うところもあります。

でも題名に偽りなし。ページを開くと「勝手に踊ってろ」と、合同誌のタイトルそのまんまな一冊でした。
私の敬愛するJAGATARA江戸アケミも「お前はお前のロックンロールをやれ」とステージ上から言い続けていたけれど、正にそんな感じ。
個々が好き放題に踊ってるし、やっぱ自分の踊り方で踊ればいいんだよ。
江戸アケミだって、そう言ってたし。


ちなみに今回の寄稿は一言で言えば「去年夏の岡山旅行の話」です。
※以前Discordで話したものとは別の話です。

合同誌なので敢えて手癖を出しつつ、ネット媒体でもないので、フィクションなのかようわからんモノを書いてます。
振り返れば「ああ、もう少し書けたかな」と思いながらも、2021年の1~2月くらいのころの私がきちんと薄切りで起立してるし、近付けばまとってくるな。
あとはネット媒体ではなく紙で出来てる本なので、舐めればきちんと紙の味がする、と思う。


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今回の合同誌、初店頭は3/28日曜日のマニアフェスタ大阪予定です。
その後、通販や委託販売もある・・・かも?

今週末、関西方面でお暇かつ懐に余裕のある方はマニアの祭典・マニアフェスタへ是非に!
そこではマニアたちが好き放題にそれぞれ踊ってるし、結局は自分の踊り方で踊ればいいんだなって。
マニアフェスタ、他人の「好き放題な踊り」を覗く心地よさがあって、好きなイベントです。ふふふ。

爪を噛むように

何のストレス無く生きてたら、こんな文字なんて書かなかったろうし、感情だってもっと素直に口から吐き出してた思う。

爪を噛むように文字を打つ。
深く噛むと爪の跡地はチクッと痛い。
でも指と爪の間からは「私」の味がして、自分でも無意識にその味を求めてしまう。

数分前まで私の肉体だった爪先も、噛み捨てればただのゴミ。

そしてココに吐き捨てた文字も、噛み捨てた爪のようなもん。
小さく自分を痛みつけ、気が付けば言葉の残骸も積もってんだ。

しかし噛み癖は感情だから、たぶん死ぬまで直んないな。
それから感情で言葉を書き殴る癖だって直しようがないし、感情の無い言葉を書くには筆が重い。などと、コレは噛み捨てた爪のような日記。

妄想妄言鈍行列車

ある日、私はヨコハマから遠路はるばる鈍行列車で名古屋まで行った。
寝坊した日はアンニュイなやる気で、のっそりのっそり西に向かった。
熱海以西のロングシート区間なんて、暗い時間だと、どこまでも伸びる恵方巻のバケモンのよう。消化しようもない時間に襲われて虚無になることもある。
そしてあまりの退屈さに、玉子・キュウリ・かんぴょう・シイタケ・桜でんぶ・酢飯に焼き海苔と「恵方巻七福神を模して、七つの材料で出来てるんだよ」と、誰が言いだしたか知らんことを思い出しては「知らんがな」とツッコミを入れながら、私は車内の輸送物になる。

ただ、昼間の車窓はあながち悪くもない。
東田子の浦駅を通過して「田子ノ浦」という地名から「田子の浦ゆ 打ちい出てみれば 真白にぞ 富士の高嶺に 雪は降りける」なんて、昔々暗唱した和歌を思い出すと、そこに万葉の時代から変わらぬ富士の高嶺も見えてくる。

まあ身も蓋もないことを言わせてもらうと、山部赤人が歌った和歌の「田子の浦ゆ」の「ゆ」が「温泉」を指す言葉だったのなら、さらに良いもんだったろうな。なんてことも思う。
田子の浦、湯、打ち出でてみれば、真白にぞ」なんて、真冬、熱くて海沿いらしく塩っ気のある露天風呂に浸かりながら、雪冠の富士山を遠く眺めてるんですよ。魅惑のオールスターゲームじゃないですか。

電車は進む。
東田子の浦駅の隣駅、吉原駅のホームからは、町の遠い遠いところに、指揮者が四拍子を大きく両腕で刻んだ時の四拍めのような裾野をした富士山も見える。
わかりにくいけど、物事のクライマックスを視覚化すると、ああいう風になるのかなって、大袈裟なトンでも理論を頭の中で繰り広げては、頭の中でひとり笑う。孤独ゆえの心地よい壁打ち。

大体、どうだっていいじゃない。
誰からも干渉されず、決まりきったダイヤに合わせて、鈍行列車はガタンゴトンと、右に富士山・左に駿河湾で進んでいく。