最果ての風と熱の名残り

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F先生は私の憧れで、いつも涼しげ。風をまとっている人だった。

先生は、遠い遠い「宮前区」って所から、家業の跡継ぎを捨てて、九州のはずれの海に囲まれた、最果ての町までやってきた。
川崎ナンバーの青いクルマに、段ボール詰め込んで、(県の正規の教員採用試験を受けているとはいえ)、流れ着くように、私の町へやってきた。

先生は社会科の担当だったから、もちろん社会科のことも教えてくれるけど、あの先生はそれだけじゃなく、のらりくらりと色んな社会のことを教えてくれた。

「福引で特等を狙うなら、たっぷりハズレを引いた人のうしろに並んで、くじを引けばいい」
なんて、確率論の話から、
「そしてオレはその特等で、オーストラリアに行った」
「クルマを延々と走らせた、エアーズロックは大したことなかったけど、先住民族アボリジニーはなんかすごかった」
などと、学生時代にタダで行った海外の話をしてくれたり、

「この町の人達は理由を付けて飲み会ばかり。でも飲み屋で出てくるトビウオのつき揚げがおいしい」
「最近釣りをおぼえた。ホームセンターのレジ脇に並んだ釣り具を眺めるのも、今ではたのしい」
「でも値段だけで釣り具は選べないし、季節や天候、とにかく色んなものを読むことだよな。で、それを生業にしている漁師さんは立派だ」
と、よそ者だからこそ感じている、この町の話もしてくれた。

また先生が、オーストラリアの先住民族も、私の町の釣り人の話も、並列で語ってくれるところ、それも新鮮で、あとは最果ての町の住民がしらない話と、最果ての町にきて先生がはじめて知った話。それらをどこか陸続きに語っていく感じも心地よかった。


もちろんすべての先生が、いい先生ばかりじゃない。酷い先生はどうしようもなく酷かった。
県庁のある「市内」と呼ばれる土地での生活が長い先生で、「市内」とそれ以外の教育格差を嘆くのは人はいた。まあそれは仕方ない所もある。実際「市内」は競争もあるし、熱心な人も多くいる。

でもそんな「市内」に対して、この町への赴任を島流しのように感じているのか、あからさまに最果ての町と、その生徒を見下している先生もいて、市内で受験戦争を勝ち抜いた自慢話と、「それに比べてお前たちはハングリーさもなく、なんなんだ」というくだりを何度も聞かされると、私だって無性に怒りが沸いた。

「それはうまれた土地と家柄に恵まれたからだろうよ」と、反論の意見を言いたくても言えなくて、居眠りに居眠りを重ねながら、「誰よりやる気のない生徒に高得点取られたら、屈辱だろうよ」と、私に怒りが混じった、学年三位くらいの答案用紙を提出させてしまうくらい、酷い感情を掻き立ててしまう先生もいた。

けどF先生は「市内」なんて場所より、ずっと都会からやって来たはずなのに、地方で育つ私達を見下したり、哀れんだりすることも、全くなかった。
また釣りの趣味に関しては、落ちこぼれ気味な生徒とも、釣りの話題で仲良くなったり、生徒相手に教えを乞うような所もあって、なんかこう教職に対するプライドも、あまりない。
生きてきて何となくたどり着いたのが、この町と教職だった。くらいの軽やかさ。

窓を開ければ自然と入ってきて、自然と抜けていくような、なんてこともない風。
吹き荒れることもなく、私たちに、分け隔てなくふれていく。


でも今になって思えば、F先生にとって、教員生活ってなんだったんだろう。

先生は、主に社会科担当で、ワイシャツ姿なのに、動きがやたらと体育教師っぽかった。
黒板の前に立って、ゆっくりとアキレス腱を伸ばすのも、回答待ちの時間、じわじわと行ってるストレッチも、なんか妙に本格的というか、筋肉や体幹の動きを、やたら気にしているのがわかる。
速度から何からを真似ると、その動きが余計にわかるというか、だいぶ不思議な動きをしていた。

で、F先生の謎ストレッチが、気になって気になって、放課後、先生が担任してるクラスのK子に聞いてみると、
「先生、サッカー部の副顧問もしてるけど、大学もスポーツ推薦で入るくらい、メチャクチャ、サッカー上手かったって。だけど入学早々にケガしちゃったらしくてね」
「スポーツ推薦で入ったから、ケガしたら普通辞めちゃうんだけど、どうしても先生になりたくて、サッカーも教えたくて、それから必死で勉強したんだって」
「でも言われてみると、チョー不思議な動きだよね。これから走り込むわけでもないのにさー」

なんて、ああ、そういうことだったのか。
謎ストレッチは、F先生の「あの頃の跡」で、特にあのアキレス腱を伸ばす動作の先には、駆け出すグラウンドが見えなくもない。

いや、見えた、見えてしまった。
今は涼しげで、サラっとした印象のF先生が、熱ばかりをまとっていた頃の姿が、はっきりと。
努力に努力があって、打ちのめされて、努力して。
あの涼しげな風は、その熱があったからこそ、ふき抜けてくるんだな。


実家の跡継ぎの座をなげうって、最果ての町にたどりついたにしても、「学校の先生をしながら、部活動でサッカーを教えてる」って点では、一応、最低限の何かは叶ったのかもしれない。すこしは報われてる。

だけど先生、今頃なにしてるんだろう。相変わらずのらりくらりとしてるのかな。赴任先を数年単位で転々とし続けてるなら、今はどんなところにいるんだろう。
インターネットに教えを請えば、消息はわかるかもしれないけど、あえて辿ろうとはしない。
でも先生、その町々を感じながら、熱は帯びてなくても、風はまとっていて欲しいな。