嘘みたいな距離感

土曜日の仕事帰り、夕暮れ時にはまだ早い。
野毛のはずれの大岡川沿いで、周りとの距離を測りながら、レモン味の缶チューハイを私に流し込む。

すると、疲れと正比例した酔いが回りながら、トクントクンと何か覚醒していく感じで、私の中にシラフよりも鋭い私がやって来る。
色彩に意味合いを感じて、文字列にはリズムを感じて、血流が増えると同時に、目ん玉に世界の圧を感じる。びりびりくる。
でもそんな、私の内側なんて誰知らず、傍から見れば私のことも、屋外でノホホンと酒飲んでるだけのOLさんに見えてしまうのかな。

川沿いの電話ボックスには、金麦の空き缶がひとつだけ置き去りにされていて「誰かがここで酔ったのかしら」と、見えない誰かの残像が私に重なるようで、嘘みたいな距離感。
だけど、私の酔いもだんだん深まって、こんな赤ら顔の酔っ払いなんてみんな避けてくから、自動ソーシャルディスタンスかな。


しかし急に夕立ちが降ってきた。
雨宿りの軒下はクソったれな人口密度で、私は足を止めず、傘さして歩いてる。

と、交差点の手前、私の目の前で、隣の車と接触したのか、雨でスリップしたのか、出前のスクーターが転倒していった。
どうやら大事故ではない、血は流れ出てない。よかった。
でもスクーターを運転していた女の子は、ひとりで荷台付きの重たいスクーターを起こすことが出来ず、なかなか起こすことが出来ず、車道で立ち往生してしまっている。


(どうして誰も彼女に手を差し出さないんだ!)


私は歩道に傘とカバンを投げ捨てて、彼女の助っ人に向かった。
それは酔ってたからだけじゃない。
彼女がひとりで立ち往生し続ける姿を、とても見てられなかったからだ。


しかしそこら辺の人は、いかにもな「傍観者」で、嘘みたいな距離感で私たちをボーッと眺めてる。
そんな距離感、クソったれなのに。