海に向かう

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私はたまに海に向かいたくなる。
マリンスポーツをしたいわけでも、釣りをしたいわけでもないのに、あと海以外にも娯楽はあるのに、どうして海に向かいたくなるんだろうか。
 
今住んでいる横浜の町は、そこまですきじゃない。でも横浜は海があってすき。
自転車でちょっと漕げば海がある。それがいい。
 
私は海がすきというより、もしかしたら、海と空が組み合わさってる風景がすきかもしれない。
それはなんとなくわかってる。
 
空の色は、彩度が高めで「大気圏越しにみる宇宙の色か」と、冒険心を掻き立てられる日もあれば、空の淡さの中にフワっとしたやさしさを感じて、包まれたくなったり、すこし甘えたくなる日もある。
 
と、そこに水平線が一本、折り目のようにすーっと伸びていて、それはビルの垂直の壁なんかよりずっと長い。
肉眼で見られるこの世で一番長い直線は、水平線じゃなかろうかと思わせる。
水平線なんて見飽きたつもりだったけど、それがこんなに見応えのあるものだったなんて。
 
あとは海の向こうが湾になっていて、あっち側の町が見えるのもすきだし、離れ小島があってもいいし、遠くにタンカーがゆっくり動いていてもいい。
 
そして海だな。
海は浅かったり深かったり、波立って白く泡立ってたり、ゆらゆらと揺らぎを感じて、とにかく漂っていたい気分になる。
特に東京湾内の海だと、波に乗るというより、穏やかなゆらぎに心をゆだねたくなる感覚が強い。
で、波音がするなら波音聴くし、潮風が吹くなら嗅ぎたいし浴びたいし、なんなら髪に潮風を纏わり付かせて、この海をすこし持ち帰りたい。
 

あと海は、夕焼けの色と溶けあったり、夜の灯りを反射しててもいい。
欲を言うなら、埋め立て地の、みなとみらいの海は人工物だな、作り物っぽいなと、すこし寂しさを感じる時はあったけれど、最近それも慣れてきた。
 
自然の力で、長い年月を掛けてうまれた地形は間違いなく本物だ。
でも埋め立ての歴史も今となっては歴史のうちだし、作り物だとしても、その作り物を作ったのは人間で、結局だれかの人格が無いとうまれてないものだからな。と考えると、まあそうだよね。
そして埋め立て地の中にある、人間味みたいなものにも気付きはじめると、それはそれで愛おしく。
 
理由なんてなくていい。みんなどこかしらの海に向かいたくなる。