飛び交う町

私にはつかず離れずな友人がいて、物理的な距離はすこし遠いけれど、たまに憂鬱な時、相手をしてくれる。
この前も「今日なら通話できるよ」って言ってくれて、出張先のビジネスホテルから、私のしょうもない話に付き合ってくれた。

18時半。私は職場を出て、家に向かおうとする。そして、スマホと通話のスイッチを入れる。
駅のガード下を潜ると、頭上を走る電車の音がうるさい。
でもイヤホン越しに「ああ、京浜東北の線路の下辺りだねぇ」って、離れていてもすこし「いま私のいる場所」を頭で描いてくれている事が嬉しくて、離れていても少し近い所にいる感じがする。

「うるさかったねー」「でも電車走ってるから仕方ないよー」なんて、当然のような。でも同世代、周りからそこそこ頼られる年頃のオトナにしては、どうしようもない会話を交わして、意味の無さが楽しい。


今度は友人の「今」に意識を傾ける。
友人はビジネスホテルに早めに入って、服を軽く脱いで、ユニットバスにお湯を張りながら、ビールの350缶を開けた所だという。
あの子は喫煙者だ。安ビジネスホテルの喫煙ルーム、消臭剤では消しきれないタバコの匂いを鼻の中に思い描く。
なんでビジホの喫煙ルームって、あんな匂いがするんだろうな。ケミカルで上書きされた匂いは往生際の悪い努力だ。

それから、風呂の湯が溢れそうだって、電話越しの友人がビールの缶を置いて、ワタワタと慌てながら動く。

FRP製の浴槽にシャワーの金具がカツンと触れ、すごくユニットバスの音がした。「あ!!!」
私はこの音で今いる場所を見失いかけた。生々しい生活の匂いや音、それは浅い催眠術にも似てて、私まで、友人と同じ安ビジネスホテルの一室にいるような錯覚がして、一瞬、距離も消え去った。ここは友人の「今」だ。


そう簡単に世界は収縮しない。けど不思議。
私たちは、町の匂いとか、音とか、写真とか、言葉とか、いろんな記憶やイメージを駆使しながら、いろんな町を飛び交う事が出来る。

いやでも、友人もそこら辺の演出を地味に「わかってる」ヤツかもしれない。地味に長いもんな。たまにハプニングを挟みつつ、私のツボを無意識に押さえてくるのなら、おもしろいヤツよ。