雨が降る

雨が降る。
透明のビニール傘を開くと、ふと、20代の頃の恋人を思い出す。
昔の恋人、親戚に傘屋がいたりして、傘は勿論だけど、カバンだとか、文房具だとか、身の回りの持ち物にやたらこだわりのある人だった。

でもふたりで池袋かどこかに出掛けてる途中、急に雨が降ってきて、その場しのぎで買ったビニール傘を開きながらも、
「ビニール傘、見上げると雨が降って来るの観れて、たのしいな」
「傘ごしに雪を見上げてもおもしろいんじゃないかな」と、次々に私には無い視点から話をしてくる。

付き合い始めた頃かな。いや違う。この人の事を好きになり始めたころの思い出だ。だから忘れられない。
人をすきになっていく感情と、雨と、私が持ち得てない視点に飲み込まれていく感じ。
あとは単純に「ビニール傘ひとつでこんなに楽しがってる人、そうそういないな。」って、彼の感じる心が羨ましかった。羨ましさ。

だから未だに、透明のビニール傘越しに雨粒を見上げては、クスッと笑う。真似してんな。って。


旅先で雨が降る。
でも私は傘を買うことを躊躇する。
私の旅はたいてい電車旅だけれど、電車に乗りながら、次の次の目的地くらいで雨が止んだら、コイツは用無しになってしまうんだろうな。
そして用無しになった傘は無意味な杖で、旅の友であった事も忘れられては、電車に置き去りにされてしまうのかな・・・と、用無しにされた傘目線で色々考えては胸苦しくなる。

けど、そんな事を年下の友人に話したら、
「そうじゃなくって、傘だけ旅を続けてるんだよ」「傘だって、家に帰りたくないんだよ」と言われて、私はハッとした。傘目線といいつつ、何目線を考えていたのだろう。

旅先で私の不注意から別れてしまったその傘も、どこかで楽しい旅を続けているというのなら、それはそれで一興だ。たのしい迷子、もしくは雨傘自身が送る一人旅のプロローグ?

そしてその答えを聞いた時、若さ、伸びやかさのある年下の友人のそれに対して、情の重さと反比例して、歳と共に自由な発想というか、自由を求める発想が目減りしていた自分をひしひしと感じて悔しかったな。

まあその友人自体も、次から次と底無しにユーモアが出てくる子で、なのに可愛さがあってハートが熱い。ズルさの塊なんだけどさ。

もし今度、旅先で傘を買う機会があって、それが無意味な杖になりかけた時には、赤いリボンでもキュキュっと巻いて、一輪のバラでも差し出すかのように、旅の傘を安宿のおかみにでも、もしくは飲み屋の大将にでも寄贈しようかしら。困ったときは傘、うれしいし。


雨が降る、雨が止む。