夏のちいさな旅

田園の中を影として走る我々。
夏の夕方、ローカル線に揺られていたら、そんなフレーズが浮かんだ。窓向かいの町に、影として存在する架空の高架橋と、その上を走る我々の姿が見える。風景として存在する我々。
でもそのことに気付いてる乗客はどれだけいるだろうか。我々の中に私はいるけれど、私は私。


8月下旬、土曜日。
私は何も考えず、一泊二日の旅に出た。泊るところは決めてない。
ルールがあるなら「青春18きっぷを使って」「浪費し過ぎず」「日曜日の終電までに帰宅する」ことがあるくらい。
斜め掛けバッグに着替えだけ入れて、あとは近所のコンビニに行く程度の格好で横浜駅まで向かう。ラフなTシャツにロングスカートを合わせ、足元はサンダル履き。
「いつの日か、痴呆老人になってしまった日にも、こうして近所を散歩する調子で、遠出してしまうのかな」
「現時点で、旅と散歩の境界がおぼろげだもんな」
自問自答を鼻で笑って、足を進める。

すれ違う人は夏の太陽が眩しくて、俯き気味に歩いてる。
私は駅に向かう途中の信号待ち、スマホの乗り換え案内で、関東近郊・気になる行先を思い付きで検索する。
と、同時に「海か山なら海がいい」「けど木陰に行きたい」「でも、どうせなら行ったことの無いところに行きたい!」とワガママな検索条件で、この旅の行き先を考える。とりあえずこの日は成田線経由・鹿島神宮を第一目的地に決めた。


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夏の溶け込んだ空模様眺めながら、普通列車で三時間。
落ちた食欲をプロテインドリンクで補い、起きてるような寝てるような調子で揺られに揺られる。
神奈川~東京~千葉、横須賀線総武線、からの成田線鹿島線に乗車。
船橋津田沼を越えると、線路の向こうに田畑が増える。千葉県産の野菜たちはこの辺りからも我が町へ来てるのだろうか。
電車はどんどんと日常から遠ざかり、ただ椅子に座ってるだけで、色んな町の今を見せてくれる。無気力なつもりでも、何かが自分に流れ込んでくる感じがあって心地いい。


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鹿島神宮に行った。
何の予習も無しに行ったので、まずはその広さに驚いた。東京ドーム15個分相当の境内で、鳥居をくぐって奥宮に行くまででも10分近く掛かる。
そして行き止まりのみえない参道を歩いていると、歩いている間にも「どこに向かっていたか」すら忘れかけ、無心を求めながらも「喉が渇いた」と、若干遭難しかけてる。大袈裟かもしれないけど、まるで人生のようだ。


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参道から脇道に逸れた所にちいさなみやげ屋があった。
しかし店先には「鹿のエサは終了しました」と、この店の看板商品は完売済み。すこしばかり切ない。
そして塀の先のシカたちも、エサ持たぬ私にはシカト。ただの「シカ」として午後を過ごしている。仕方ない。


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御手洗(みたらし)池の縁取りを子どもたちが歩いている。
冒険家気取りの子どもたちは、ただただ楽しそうにしていて、私だって向こう側に行きたいな。
そして池の裏の鬱蒼とした場所で、知らない子どもたちの夏休みを夢中になって眺めていたら、延命の水を飲むことすら忘れてしまった。

けど代わりに厄払いの甘酒は飲んだ。
厄払いって日本語になんとなく弱いんです。悪運は跳ね除けたいんです。
パワースポットのパワー感じられるほどの繊細さは無いけれど、池の縁取りを歩く子どもたちのような冒険心と楽しむ心は持ち続けたいな。
それから、多少はいい事ありますように。


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(鹿島神宮境内の行き先板・4分の3の確率で国道にたどり着く。行き先=国道という概念)

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これはタケミカヅチノミコトが、地震を起こす原因と言われているナマズを抑え込んでる彫刻。


鹿島神宮から最寄りの駅へ。

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鹿嶋の町は平成レトロというか、まだ私たちが子どもだったころの匂いがした。鹿島アントラーズからJリーグブームの平成ヒトケタ時代を連想してしまうのか。
いやでも1984年から2003年までこの町には女子短大があったらしく、言われてみればあの頃の名残だろうか。

町にあった、鉄道模型がウェイター代わりをする喫茶店のメニューにも「サマーサンバ」「レディーマドンナ」「オータムリーブス」という華やかにフルーツの盛られたメニューがあったけれど、喫茶店のマスター曰く、それらは当時アルバイトをしていた女子大生が発案したメニューだと聞き、わかる気もした。
特に「オータムリーブス」はアイスやフルーツの盛られた皿の上にコーンフレークが落葉の並木道で、差し色のベリーシロップが鮮やか。
今まで枯れ葉のじゅうたんを見てコーンフレークを思ったりしたこと、無かったのにな。そういう感性、私すき。

鹿島神宮では武人の神様を祀っているけれども、鹿嶋の町には私たちが子どもの頃に憧れた「お姉さん」の残り香もほんのり。


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鹿島神宮駅からガルパンラッピングの鹿島臨海鉄道大洗鹿島線の電車に乗って「来た道と同じ道を辿ってもつまらないわよね」という程度の動機で水戸へ向かう。

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こち亀の正式名称みたいな駅名)

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そして改めて「田園の中を影として走る我々」の姿。
思い付きで家を出て、思い付きの電車に乗っているけれど、何もこういう時間とこういう物思いをするために旅をしているのかな。
ダボっとしたTシャツの隙間にエアコンの冷気が入り込んで、こもった熱を冷ましていく。


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水戸に着くと夏空も逢魔が時の色してた。
さっき調べた一泊1800円の宿に向かう道中、足元はいつものサンダルで、ロングスカートひらひら。
ちょっとコンビニに行くような調子でヨコハマから水戸まで来てしまったのは笑ってしまうけれど、旅と散歩の境目なんてようわからんし、伸縮する庭の一角を今日の私はフラついている。


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何度か訪れた事のある水戸だからこそ、あえて歩いたことの無い道を、最短距離という名の裏道を選んで歩いて行った。私だって冒険家気取りで急坂を上がる。

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暖簾越しの灯りの色が綺麗だったからと立ち寄った飲み屋。
ぱっと見の敷居は高いお店だったけれど、楽しかった。

タダモノでは無いマスターが、海外に飛び出していた時の話。
それから戦後、小学生の時に学校行事の一環で「ルイ・アームストロング」の映画を観てから人生が変わったと言っていたオジ様と、大洗の海沿いに別荘を建てたオジ様の話。
話の流れから、海沿いの別荘の写真もいくつか見せてもらって、金持ちが富を誇るようなものじゃなくて、センスのいい建物だな。そこに至るまでの話もすこしだけ聞いたけれど、ああいう建物を選べるのも、またセンスの良さだなと納得に納得。
でも何者でもない私に「こういうお店に臆せず入れるのもセンスだよ」と、焼酎の水割りがグラスで揺れてた。


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……なんて調子で軽く酔いながら、私は1泊1800円の宿に向かったけれど、知らない街の高くて暗い所、家と違うところへ眠りに向かうのはドキドキわくわくする。
この坂を登りきらないと宿にはたどり着けないけれど、それも含めて大特価。それもまた人生。


翌朝はだらしなく起きてしまった。
早起きすれば水戸城の周りを探索したり、大洗まで出かけてもよかったけど、無気力っぷりが光った。
でも10時になったら値段の割に快適だった宿からも追い出されてしまい、なんとなくで「水戸芸術館」に向かった。

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「道草展:未知とともに歩む」
路上観察系(道草をしていると出会うもの)の展示かなと思ったら、路傍の植物たちや自然現象にフォーカスの当たった展示だった。
あまりこの手の芸術に対しての感想を私は上手く話せない。でも感覚としてはわかった。
それから、こういうのって、何かの折にカットされた映像が記憶からよみがえり、その場の何かが合わせることで、意味がつながる事も多い。時間差での気付き。不思議なものよ。


その後、これは旅ですらない話だけれど、水戸から常磐線を乗り継いで帰ろうとした矢先に「せっかく近所だし、遅めの昼でも」と、沿線の旧友にサクッと誘われ途中下車をした。
駅前にサイゼリヤのある町を狙って合流し、昼間っから豪勢に過ごそうよって、あまりにも小粋な提案過ぎて、飲んでなくてもご機嫌になる。

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でもこう、デカンタで頼んだ赤ワインは、夕方の空と夜空とを混ぜこぜにした色。
そしてそれを真っ昼間からグラスに注いでは、飲み干していき、カラになったら夜も近いわ。互い違う行き先の電車で別れ、あとはグリーン車うたた寝するだけ。



一泊二日の思い付きな旅。
田園の中を影として走っていた我々も、江戸川を渡り、隅田川を渡り、多摩川まで越えてしまえば、日常が終点。
いや生きてる限り、旅は終わらんのだろうけれど、こんな感じで、私はたまに旅してます。旅を重ねて生きてます。