くるり「東京」を聴きながら

月曜の朝、くるり「東京」を聴きながら会社に向かっていたら、無性に泣けてきた。

イントロの静かなギターから、ドラム・ベースが入っていき

「東京の街に出て来ました
 あい変らずわけの解らない事言ってます
 恥ずかしい事ないように見えますか
 駅でたまに昔の君が懐かしくなります」

という歌い出し。
この歌は上京の歌であり、私には上京した僕から故郷にいる君へ、出せない手紙のような歌にも感じる。


私がこの歌を初めて聞いたのは、中学に入りたての時だった。
あの時は正直、この歌の世界を十分にわからずにいた。
ただ「この家は長期的な私の居場所じゃない」という事実だけはあったので、あと数年すれば私も上京するだろうとは思いながら、まだ見ぬ東京の街と東京での生活を頭で思い描くところもあった。

また、今こうして住む町にも「君がいない事 君と上手く話せない事」と思える人が現れるかはわからないけど、上京したら、私もこんなことを思う日がくるのかな。って勝手に「君」の姿を思い描いたりもした。

中学校の焼却炉の前にあるブランコにのりながら、可燃ゴミ不燃ゴミもお構いなしに灰になる匂いを嗅ぎながら、春のおだやかな日差しを浴びながら。


そして今朝、くるり「東京」をイヤホンで頭に流し込んでると、あのブランコの揺れと焼却炉の匂いごと不意に思い出して、ああ今すこしだけわかったよ。
ちっともわかってないけど、私なりにわかった。

「君が素敵だった事 忘れてしまった事」で浮かんだ君の姿は、13歳の手前で、世界の多くを知らなかった頃の私の姿で、どこか諦めながらも、まだまだ純粋で、多くの物事に希望を描いている。
そう、君とは故郷に置いてきた、私自身だった。
3×歳の私、過去の自分に恥じぬよう、裏切らぬよう、今を生きてますか?

あい変らずわけの解らない事は言い続けてるけれど、13歳の手前ごろを思い出しつつ、
「君が素敵だった事 ちょっと思い出してみようかな」


くるり - 東京

アレ食えよエクレア(回文)

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高度なストレス社会。
普段はまあ、夕飯前の買い食いは控えるようにしてるんだけど、今日はちょっと心が沈んでるしと、仕事上がりにコンビニ寄って、エクレア買い食いした。美味い、しあわせ。
でもエクレア食べてると、一番後ろにクリームが押し寄せられて、最後の一口、大量のカスタードクリームが喉元にドッと襲ってきて、蒸せる。
そして、食欲に負けたこと以外にも、喉元で蒸せた感じに、すこしだけインモラルな気持ちになった自分を恥ずかしく思いながら、鼻先のチョコレートを指で拭き取る。

だけどなんだろう。
たった一本のエクレアで、しっかりしあわせになれちゃう私って、とても単純。
生きるか死ぬか、エクレアか。でも結局のところ、エクレア、エクレア。

けどどうしよう。私このまま、エクレア依存症になってしまったらどうしよう。
一本のエクレアと一本のタバコ、正直どちらが毒なのか私にはわからない。
「たかがエクレア、されどエクレア」で、一日4本のエクレアと、一日4本のタバコだったら、エクレアも随分と体に毒だ。
そして太らないエクレア生活というか、エクレア4本との共存生活。
私はエクレア4本分のカロリーを消費するために、一日どれだけ体を動かせばいいんだろう。
いや、でもエクレア、美味しいもんな。

今日の私は一本の缶チューハイの代わりに、一本のエクレアを摂取した。酔わなくっても、コレはコレ。

簡単なトリップのはなし

今年のゴールデンウイーク前。
どうせ新型コロナウィルスの影響で旅行に出られないのなら「家で旅行すればいいよ」だなんて、よくわからない事をつぶやいてしまった。

いや、これにもすこしやり方はあって「自分の家をなるべく、嗅覚から変えていく」。
例えばシャンプーやボディソープを普段使ってるものじゃなくて、コンビニで個包装されてる旅行用の、いつもと違うシャンプーにしてみたり、ちょっとお香を焚いてみてもいい。特に白檀系のお香は寺院なのか、高級旅館の匂いにも似てて、割と遠くに行ける。

そしてさらにひと手間を掛けるなら「寝室の寝具を、普段使ってる柔軟剤と全く異なる香りのもので洗って、寝室に持ち込む」。
これだけでも、びっくりするくらい眠りの印象が変わる。

目を閉じて、布団の中で丸まれば、一番の情報は嗅覚だ。
視覚・聴覚が夜に溶ければ、ここはここじゃない。

この布団もどこかの民宿で、少し張り切った若女将が用意してくれた、特上の家庭的な「おもてなし」なんじゃないかって、まあいくらでも想像はできる。
そして布団に包まりながら、あしたの旅程なんて考え始めたらパーフェクト。とびきりの旅行が約束されかけてる。


でも私はやらかしてしまった。
夕方5時台の晩酌は危ない。いま家には誰もいないから、余計に私は遠くに行ける。
ベランダから差し込む夕方の光が、レモン酎ハイの入ったグラスを透過して、シュワシュワの液体を白く濁らせ、輝かせてる。
この白い濁りは叩きつける波の色、遊泳禁止の海のうねりを思い出して、ハッとした。
この液体を我が身に含んだら、どうなってしまうんだろう。私はすこし嫌な予感を受けた。

「ちきしょう。ああやっぱりだ」
いつも以上に、頭が揺れる。頭だけじゃない、オミソもうねりを伴いながら、揺れている。
そして日常のこわばりが抜けて、脱力しきった身体は軟体動物に近づいて、ぐにゃんぐにゃんになっていく。ついでに視界も割とあやしくなってきた。
ああ、このまま私は人類の進化を無視して、私が私であたらしい生きものになってしまうのか。
スッと手元に視線が落ちると、グラスを持つ腕からもう、有り得ない熱と赤みを帯びていて、私からどんどん「人間としての私」が遠ざかっている。

ただ今は、誰も見てない何にもすがれない。
唐突に半裸になって、ベッドの上に飛び込んでも、何も変わらない。

そして今度は人畜無害なはずのEテレの音声が私を惑わせる「オーケー、次は昆虫のはなしかい?」
私のオミソは酔いの中で、また何かにメタモルフォーゼしたがってる。
頭!胸!胴!もう全てがグデングデンの、ギチョンギチョンで、これ以上どこか彷徨う必要もないのに。

カーテン越しでも日は落ちて、無灯火の寝室ごと薄暗くなっている。視覚が夜に溶ければ、ここはここではなくなりそう。
肢体ごと夜に溶けて、オミソまで跡形もなく夜に溶けてしまったら、私はきっとどこにでも行けるし、何にだって化けれる。
……でもちょっと怖いよ。
私が私じゃなくなったら、今まで私が私だったこともなんだったんだ!って、急に怖くなっちゃうよ。
そして誰にも気付かれず、闇が重い。

だけどいくつかの匂いが混じる寝室の中で、どこか落ち着く匂いが漂ってる。
寝返ると顔にスーッと掛かる黒髪。ああコレは髪に染み付いた、白檀のお香を焚いた時の匂いだ。
それは寺院の中にでもいるような、静かに邪が取り払われていく香りで、心安らぐ香りで、私はお香の焚かれた私の髪を、一本一本鼻先で辿りながら、人間の器を取り戻していく。
ああ辛うじて、現世に繋ぎとめられた。


逢魔が時、簡単なトリップのはなし。
私は遊泳禁止な初夏の海を呑み込んで溺れかけた。
でも結局、私のオミソは未だに揺れ続けてる。

鎌倉探索のはなし(4)

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ご無沙汰していた鎌倉探索シリーズの続編です。
鎌倉探索のはなし(1) - 伸縮する庭
鎌倉探索のはなし(2) - 伸縮する庭
鎌倉探索のはなし(3) - 伸縮する庭

今回はお散歩フォーマットの軽い感じで書こうかなって思います。


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この日は寒かったから、鎌倉の駅近くのビールとワインのお店でテイクアウトのホットワインをキメた。
2020年1月26日。まだまだ寒かったけど、平和だった頃だ。
寒さしのぎのマスクを外すと、不燃布マスクの中、思っていた以上に口紅が付いてしまってたけど、そんな事気にせずにワインを飲んだし、そこからもう、マスクなんて外した。


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ホットワインを飲みながら目に飛び込んだ、鎌倉駅前の広場?みたいな所に植えてあった「すく すく」という愛称のクスノキ
そうかお前は「すく すく」か。しかし目の前に歪んだしょくぱんまんみたいなシルエットの石碑置かれて、誰も違和感感じないんだろうか。


江ノ電に乗って、鎌倉大仏のある長谷駅まで向かいます。
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長谷駅には「長谷液」という謎の液体があって、調べてみると運転手さんが電車のガラスを拭くための液体らしいんだけど、Twitterで「#長谷液」と検索してみると、その時々の長谷液のラベルが見られて面白い。
でも今はどうやら新型コロナウィルス対策の時事ネタになってる。そうだよな。
けどこんなご時世だからこそ、駅員さんの遊び心を受け止め合いたい!


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油性ペンで補うスタイル。

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「無」を売ってる哲学的な珈琲店かと思ったら、「蕪(かぶら)」だった。
(本当に「無珈琲」なら、インド哲学的というか、むかし京都で見かけた「生きてるコーヒー」と張れる謎店名だと思った)

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鎌倉らしいけど、大仏ゲシュタルト崩壊をおこしてしまえば、もしかしたら奈良かもしれない。

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随分とあやしげに浮いてる。


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ああ好き。よくわからないけど、電話番号が3桁な辺りからも年季入ってるのはわかる。


そして一同が足を止めて寄り道したのが、この土産物店。
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THE 外国人ウケする日本!って感じだけど、

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そこかしこに、武器!武器!
元ネタも色々あるらしいんだけど、そこは詳しい人にお任せします。でもわかる人と行ったら、絶対たのしいスポット。
鎌倉 山海堂商店HP (Sankaido Store in Kamakura)


で、私も記念にペーパーナイフと撒菱を買ってしまいました。(カッコいい)
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そして、はじめての鎌倉大仏
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胎内にも入っちゃったりして。
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ゆるやかなカーブ。そうだよな。胎内って曲線だもんな。


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鋳物の胎内に入って、その解説文を読んで、重なり合った地層みたいになってる部分を「ほげー」って眺めてる。
よくよく考えると、中身の人間、しかも複数人が胎内にいるってすごいよな。
厳かな気分になりながらも、人間の言葉を交わして、仏様の胎内にいる。しかもコレを1人20円で体験できるなんて、少し不思議。



あとは同行してる喫煙者の人が灰皿を探してる間に、またすこし探索。鎌倉大仏からほんのチョコっとそれた路地かな。

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「大仏」を「大仏」で描くテプラアート。そしてこのプロマイドもいいよね。パワープレイだ。

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これは結構もテクニックで地図を描いてる。テプラめちゃくちゃ活用してる。テプラ検定2級相当。
でも左の「笹・シュロ類」の「シュロ」が微妙に気になる。

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あー、でも色々とポテンシャル高過ぎません?
手書きに、ペットボトルの積み上げに、普段「エモい」って言葉はあまり使わないんだけど、そこにいるはずない人間の感情が、それとなく己に襲ってくるあたりは「エモい」に入るんだろうか。

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あと振り向けば、素敵ピクトグラム看板があったり、影絵みたくなってるけど、ムササビが?走り回ってたり、この路地、やたらと情報量が濃かった。
私、情報量の多い路地大好き。否応なしに情報が私を取り囲んでる時、頭ん中から割としあわせになれる。


駅への復路。

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一瞬、赤ん坊を売ってるお店かと思ってギョッとした。

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フォント間違えたな・・・

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そして君らは、哀愁の異種族レビュアーズか。


と、そんな感じで、我々は江ノ電に乗り、江の島の方角へ向かうのでした。(つづく)

孤独感は、そこで

結局私は、孤独感のかたまりだと思う。

いま現在は満たされてないわけでもないし、家庭もあって、友人も少ないなりにいて、職場での人間関係もあって、客観的に見れば、まあそこまで悪くは無いと思う。
けど、結局どこか、取り繕うように振舞ってしまうところはあるし、自然体で難なく愛されている人間を観てしまうと、自分の中の何かを静かに打ち砕かれてしまう。私は努力なしで愛される気がしない。コレもある種の劣等感だろうか。

でもうまくは言えないんだけど、私の中に「死人によって私が動かされてる」ような感覚が降ってくる時や、死人じゃなくても、生霊みたいな何かに肉体を動かされてる感覚がたまにあって、大抵こういう時には、私の中の孤独感がうまくかき消されている。

生身の私は本当に本当に空っぽで、人に誇れる中身なんて大して無い。
けどそのスキマに何かが入り込み、胸の中で酔わされている感覚と、何かしらの疾走感がハマった時の私は強い。
頭が開いて、勘は鋭くて、色んなことが手に取るように見える。そして何かに動かされてる中で、日常の孤独が嘘みたいに消え去っては、視界に入るすべてのものが、私に向かって何かを語りかけてくる。
それはもう、どこか映画や物語のような世界だ。

でもどうして私には「死人によって動かされてる」ような感覚が降ってくるのか。
たぶんそこには、生きることに対して、やや冷めかけてる私に対して「生きるのも悪くないよ」って、見守りながら教えてくれる、目には見えない、愛に満ちあふれた「誰か」の存在があるんだと思う。

そしてそこにある、孤独感と表裏一体に広がる、私だけの夢の世界。
「もういいんだ」って投げやりになりながらも、世界はやさしくて、そこから生きることに対する飢えもわいてくる。
でもああ、結局この孤独感と私は心中していくのかしら。
この孤独感に巣食う、私だけの夢の世界。
皆にこの夢の世界を見せることができた時、私の孤独感もこう、成仏していくのだろうか。
 

嘘みたいな距離感

土曜日の仕事帰り、夕暮れ時にはまだ早い。
野毛のはずれの大岡川沿いで、周りとの距離を測りながら、レモン味の缶チューハイを私に流し込む。

すると、疲れと正比例した酔いが回りながら、トクントクンと何か覚醒していく感じで、私の中にシラフよりも鋭い私がやって来る。
色彩に意味合いを感じて、文字列にはリズムを感じて、血流が増えると同時に、目ん玉に世界の圧を感じる。びりびりくる。
でもそんな、私の内側なんて誰知らず、傍から見れば私のことも、屋外でノホホンと酒飲んでるだけのOLさんに見えてしまうのかな。

川沿いの電話ボックスには、金麦の空き缶がひとつだけ置き去りにされていて「誰かがここで酔ったのかしら」と、見えない誰かの残像が私に重なるようで、嘘みたいな距離感。
だけど、私の酔いもだんだん深まって、こんな赤ら顔の酔っ払いなんてみんな避けてくから、自動ソーシャルディスタンスかな。


しかし急に夕立ちが降ってきた。
雨宿りの軒下はクソったれな人口密度で、私は足を止めず、傘さして歩いてる。

と、交差点の手前、私の目の前で、隣の車と接触したのか、雨でスリップしたのか、出前のスクーターが転倒していった。
どうやら大事故ではない、血は流れ出てない。よかった。
でもスクーターを運転していた女の子は、ひとりで荷台付きの重たいスクーターを起こすことが出来ず、なかなか起こすことが出来ず、車道で立ち往生してしまっている。


(どうして誰も彼女に手を差し出さないんだ!)


私は歩道に傘とカバンを投げ捨てて、彼女の助っ人に向かった。
それは酔ってたからだけじゃない。
彼女がひとりで立ち往生し続ける姿を、とても見てられなかったからだ。


しかしそこら辺の人は、いかにもな「傍観者」で、嘘みたいな距離感で私たちをボーッと眺めてる。
そんな距離感、クソったれなのに。

最果ての風と熱の名残り

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F先生は私の憧れで、いつも涼しげ。風をまとっている人だった。

先生は、遠い遠い「宮前区」って所から、家業の跡継ぎを捨てて、九州のはずれの海に囲まれた、最果ての町までやってきた。
川崎ナンバーの青いクルマに、段ボール詰め込んで、(県の正規の教員採用試験を受けているとはいえ)、流れ着くように、私の町へやってきた。

先生は社会科の担当だったから、もちろん社会科のことも教えてくれるけど、あの先生はそれだけじゃなく、のらりくらりと色んな社会のことを教えてくれた。

「福引で特等を狙うなら、たっぷりハズレを引いた人のうしろに並んで、くじを引けばいい」
なんて、確率論の話から、
「そしてオレはその特等で、オーストラリアに行った」
「クルマを延々と走らせた、エアーズロックは大したことなかったけど、先住民族アボリジニーはなんかすごかった」
などと、学生時代にタダで行った海外の話をしてくれたり、

「この町の人達は理由を付けて飲み会ばかり。でも飲み屋で出てくるトビウオのつき揚げがおいしい」
「最近釣りをおぼえた。ホームセンターのレジ脇に並んだ釣り具を眺めるのも、今ではたのしい」
「でも値段だけで釣り具は選べないし、季節や天候、とにかく色んなものを読むことだよな。で、それを生業にしている漁師さんは立派だ」
と、よそ者だからこそ感じている、この町の話もしてくれた。

また先生が、オーストラリアの先住民族も、私の町の釣り人の話も、並列で語ってくれるところ、それも新鮮で、あとは最果ての町の住民がしらない話と、最果ての町にきて先生がはじめて知った話。それらをどこか陸続きに語っていく感じも心地よかった。


もちろんすべての先生が、いい先生ばかりじゃない。酷い先生はどうしようもなく酷かった。
県庁のある「市内」と呼ばれる土地での生活が長い先生で、「市内」とそれ以外の教育格差を嘆くのは人はいた。まあそれは仕方ない所もある。実際「市内」は競争もあるし、熱心な人も多くいる。

でもそんな「市内」に対して、この町への赴任を島流しのように感じているのか、あからさまに最果ての町と、その生徒を見下している先生もいて、市内で受験戦争を勝ち抜いた自慢話と、「それに比べてお前たちはハングリーさもなく、なんなんだ」というくだりを何度も聞かされると、私だって無性に怒りが沸いた。

「それはうまれた土地と家柄に恵まれたからだろうよ」と、反論の意見を言いたくても言えなくて、居眠りに居眠りを重ねながら、「誰よりやる気のない生徒に高得点取られたら、屈辱だろうよ」と、私に怒りが混じった、学年三位くらいの答案用紙を提出させてしまうくらい、酷い感情を掻き立ててしまう先生もいた。

けどF先生は「市内」なんて場所より、ずっと都会からやって来たはずなのに、地方で育つ私達を見下したり、哀れんだりすることも、全くなかった。
また釣りの趣味に関しては、落ちこぼれ気味な生徒とも、釣りの話題で仲良くなったり、生徒相手に教えを乞うような所もあって、なんかこう教職に対するプライドも、あまりない。
生きてきて何となくたどり着いたのが、この町と教職だった。くらいの軽やかさ。

窓を開ければ自然と入ってきて、自然と抜けていくような、なんてこともない風。
吹き荒れることもなく、私たちに、分け隔てなくふれていく。


でも今になって思えば、F先生にとって、教員生活ってなんだったんだろう。

先生は、主に社会科担当で、ワイシャツ姿なのに、動きがやたらと体育教師っぽかった。
黒板の前に立って、ゆっくりとアキレス腱を伸ばすのも、回答待ちの時間、じわじわと行ってるストレッチも、なんか妙に本格的というか、筋肉や体幹の動きを、やたら気にしているのがわかる。
速度から何からを真似ると、その動きが余計にわかるというか、だいぶ不思議な動きをしていた。

で、F先生の謎ストレッチが、気になって気になって、放課後、先生が担任してるクラスのK子に聞いてみると、
「先生、サッカー部の副顧問もしてるけど、大学もスポーツ推薦で入るくらい、メチャクチャ、サッカー上手かったって。だけど入学早々にケガしちゃったらしくてね」
「スポーツ推薦で入ったから、ケガしたら普通辞めちゃうんだけど、どうしても先生になりたくて、サッカーも教えたくて、それから必死で勉強したんだって」
「でも言われてみると、チョー不思議な動きだよね。これから走り込むわけでもないのにさー」

なんて、ああ、そういうことだったのか。
謎ストレッチは、F先生の「あの頃の跡」で、特にあのアキレス腱を伸ばす動作の先には、駆け出すグラウンドが見えなくもない。

いや、見えた、見えてしまった。
今は涼しげで、サラっとした印象のF先生が、熱ばかりをまとっていた頃の姿が、はっきりと。
努力に努力があって、打ちのめされて、努力して。
あの涼しげな風は、その熱があったからこそ、ふき抜けてくるんだな。


実家の跡継ぎの座をなげうって、最果ての町にたどりついたにしても、「学校の先生をしながら、部活動でサッカーを教えてる」って点では、一応、最低限の何かは叶ったのかもしれない。すこしは報われてる。

だけど先生、今頃なにしてるんだろう。相変わらずのらりくらりとしてるのかな。赴任先を数年単位で転々とし続けてるなら、今はどんなところにいるんだろう。
インターネットに教えを請えば、消息はわかるかもしれないけど、あえて辿ろうとはしない。
でも先生、その町々を感じながら、熱は帯びてなくても、風はまとっていて欲しいな。